アメリカンフットボールのプロリーグ設立に向けて

2010年に日本でアメリカンフットボールのプロリーグを設立する――2000年の元旦に自分に課した目標です。この目標の実現に向けて、この場をお借りしてこれまでの仕事を振り返り、アイデアを整理し、構想を練り、自らのモチベーションを鼓舞していきたいと思います。

Wednesday, February 08, 2006

いつ思い立ったか

 まず最初の投稿ということで何を書こうか迷ったが、自己紹介はひとまずプロフィールを見て頂くこととして、しばらくの投稿では、「なぜアメフトのプロリーグを創りたいと思ったか」「いつどのようなアクションをとってきたか」といった過去の出来事について振り返り「そのときどう感じたか」「学んだことや教訓は何か」など、アメフトをプロ化したいと思った経緯について書いてみようと思う。

 忘れもしない1997年11月16日。 この日は、アメフトをプロ化したい、というより「プロ化しなければ」と強く決心した日だ。当時自分が選手としてプレーしていたリクルートシーガルズは、97年度はリーグ戦で3位となりプレーオフに出場することが出来ず、チームは例年より早いシーズンオフに突入。確かこの日は日曜日だったと記憶しているが、既にオフなので練習もなく、家で夕方をむかえていた。ふとTVをつけると目に入ってきたのはサッカーの試合。そう、この日は98年にフランスで行われたサッカーワールドカップの最終予選日本vsイラン戦、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた試合が生中継されていたのだった。

 当時サッカーに興味の無かった自分は、その日に最終予選があったことさえ忘れていた。チャンネルを変えようか迷ったが、ここである感情がわいてきた。「日本が勝つと、さらにサッカーが盛り上がってしまう・・・」。ほぼ全国民が日本の勝利を望んでいるであろうに、非国民にも日本が負けることを望んでいたのだ。

 サッカーは93年にJリーグがスタートし、当時順調に人気を拡大していた。それに比べ、アメフトは96年から当時流行った「アルファベット一文字リーグ」になぞらい「Xリーグ」と名称を変更。しかし実態はプレーオフ制度を変更したのみで、Jリーグのような大きな変革が行われていたわけではなかった。そもそもマイナースポーツであるアメフトがサッカーと大きな距離をあけられてしまう。そんな問題意識を抱きはじめていた時だけに、この試合の展開はその感情を大きく揺るがすものとなっていった。

 「日本が負ければ、サッカー人気は落ちるかもしれない」。なんとも負け犬根性的な情けない発想ではあるが、悔しいかなその試合を見ながらそう思っていたのは事実である。試合は同点で延長戦へ。多くの人の記憶に残っていると思うが、岡野が決勝Vゴールを決め日本はワールドカップ初出場を決めた。日本中が歓喜する中、自分は一人TVの画面を見つめ、悔しさと危機感となんとかしなきゃ感を抱きながら、決意した。「アメリカンフットボールを日本でメジャーにしてやる」「いつかはプロリーグを作って人気スポーツにしてみせる」。

 この日のこの気持がプロ化にむけて歩み出す原点となっている。この気持が高ぶる中、翌年98年の1月にある資料を作成した。当時覚えたてのパワーポイント4.0で作成した「シーガルズの価値とは何か」というタイトルの資料である。このファイルは今でも当時の日付で保存してある。
次回は、久々にこのファイルに書いてあることを読み返してみたいと思う。

注)今では仕事でサッカーに関わることが多く、すっかりサッカー好きになりましたので!今年のワールドカップはもちろん日本を応援します(笑)

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