アメリカンフットボールのプロリーグ設立に向けて

2010年に日本でアメリカンフットボールのプロリーグを設立する――2000年の元旦に自分に課した目標です。この目標の実現に向けて、この場をお借りしてこれまでの仕事を振り返り、アイデアを整理し、構想を練り、自らのモチベーションを鼓舞していきたいと思います。

Monday, March 20, 2006

ありがちな「人気拡大策」を考察する

 アメリカンフットボールの「広告としての媒体価値」についての考察に入る前に、今回はコーヒーブレイクとして、よく言われるスポーツの「人気拡大策」について考察してみよう。

 アメフトに限らず競技の人気拡大を考える際に、以下のような施策やアイデアが提案されることがある。

1)「世界のトップで活躍する選手を輩出する」
2)「スター選手を生み出す」
3)「競技を題材にしたアニメやコミックをつくる」
4)「試合やハーフタイムに芸能人を呼ぶ」
5)「子供達(底辺)に競技を普及させる」
6)「女性ファンを拡大する」

 いずれも有効な人気拡大施策ではあるが、実はそれぞれの施策を単発で実施してもさほど効果はない、というのが筆者の考えである。それぞれを検証してみよう。

1)「世界のトップで活躍する日本人選手を輩出する」

 サッカーの中田英寿や中村俊輔、野球のイチローや松井秀樹といった世界のトップリーグで活躍する日本人選手の存在が、サッカーや野球の普及・人気拡大に貢献したことは言うまでもない。この現象にならって、他の競技も「世界で活躍する日本人選手を生み出せ」と躍起になっている。しかし、果たして世界で活躍する選手が登場するだけでその競技の人気が高まるのだろうか?かつて世界のトップで活躍し続けた選手を輩出したスキーノルディック競技や自転車競技などは、確かに一時的な露出や話題性は高まるが、その後継続的に人気が定着したとは言い難い。ではサッカーや野球とそれらの競技の違いは何か?それは日本におけるそもそもの普及・人気度合いにもよるが、プロリーグの存在とそこで活躍した選手が世界に進出するという構図の有無であると考える。日本のプロリーグで活躍⇒世界のトップリーグへ輩出という図式と、一時的な注目を定着させるための日本における最高峰のプロリーグの存在があってこそ、この施策が効果的なものとなるのである。そう考えると、例えばその条件を満たさないアメフト、ハンドボールといったマイナー競技において、たとえトップレベルの実力を持ち世界で活躍する選手を輩出できたとしても、一時的な注目を浴びるものの、継続的な人気が定着することは難しいであろう。

2)「スター選手を生み出す」

 確かにその競技を知ってもらい、興味を持ってもらうためのきっかけとなる施策としては有効であろう。しかしながら、その興味関心を継続させ競技そのものへの興味へと結びつけ、ファンとして定着してもらうためには、国内におけるコンテンツ価値の高い試合やリーグの存在が欠かせないのである。さもなければこの施策は「きっかけ」を生み出すのみの打ち上げ花火となってしまうであろう。 かつてアメフトにおいても京都大学の東海選手というアメフトにしては比較的メディアで注目されたスター選手がいたが、今日の競技の発展には残念ながら繋がっているとは言えない。

3)「競技を題材にしたアニメやコミックをつくる」

 「巨人の星(野球)」「アタックNo.1(バレーボール)」「キャプテン翼(サッカー)」「スラムダンク(バスケットボール)」「アイシールド21(アメフト)」といった漫画やアニメの存在はその競技の普及に大いに貢献した。特にキャプテン翼は、その後のJリーグ設立やW杯開催といったことと相まって確実にサッカーの底辺拡大、人気拡大に貢献したことは間違いない。このサッカーの例が顕著なように、競技のアニメ化や漫画化は非常に効果のある施策ではあるが、やはりそこでの注目や興味を、子供にとっては将来の目標となり、見る人にとっては試合観戦につながる「試合やリーグ」の存在がなければせっかくのアニメや漫画も無駄なものとなってしまうであろう。

4)「試合やハーフタイムに芸能人を呼ぶ」

 試合への集客という観点で有効な施策となることは、芸能人をプロモーションに絡めるバレーボールを見れば一目瞭然であろう。しかしながら、メインのコンテンツはその競技であり試合であることを忘れてはならない。足を運ぶ目的は違えど、その競技がその芸能人の魅力とは異なるコンテンツ価値を生み出すことができれば、その後の人気拡大につなげることが可能となる。しかし、イベントが魅力的でもその競技や試合が面白くなければ、そのイベントに投資をした意味が皆無となる。この施策はあくまでも集客のひとつのきっかけに過ぎないことを肝に銘じなければならない。イベントに注力する前に、その試合や競技の魅力が生み出せる状態とするための本質的な価値向上に注力することが必須なのである。

5)「子供達(底辺)に競技を普及させる」

 これは短期的には効果を生み出すことは難しいが、長期的に見れば非常に重要な人気拡大施策となる。既に人気がある競技であってもこの施策を怠ってしまうと、その後は衰退していくことであろう。ではこれから人気を生み出していこうという競技の場合、この施策を行うことでそれが可能となるのであろうか?確かに子供の時点でその競技を経験することにより、競技そのものの認知が高まり、また優秀な選手の出現率が高まることから、競技発展の可能性が高まることは確かだ。しかしながら、底辺が拡大しても「頂点」がなければ、競技を経験しその競技の魅力を感じた子供たちは目指すべき目標を失うことになる。要するに、底辺拡大と頂点となるべくレベルの高いプロリーグの存在がセットになることでこの施策は真に効果を生み出すのである。頂点となるプロリーグ設立がないままでは、底辺拡大の効果が半減してしまうであろう。

6)「女性ファンを拡大する」

 (2)や(4)の施策もこの一部となるが、女性ファンの拡大はその影響力の大きさから人気拡大のためには重要な施策となる。また子供を産む存在であることから、(3)や(5)の施策にも影響を及ぼすことであろう。しかしながら、単なるエンターテイメントの普及や芸能人のファン拡大、またある教育施策の普及であればこの施策のみでも効果を発揮すると思われる。しかしことスポーツというコンテンツの人気拡大においては、競技そのもの魅力や価値の拡大と、その魅力や価値を継続的に享受できる仕組みが無ければ、(1)~(5)の施策同様に一時的なブームや打ち上げ花火といったことになりかねないのだ。

 以上「ありがちな人気拡大策」について考察してみた。何かとブログの主旨である「プロリーグの設立」ということに結論づけたことは否めないが、いずれにせよ「真のコンテンツの価値(競技や試合の魅力)」「継続的な価値発揮の仕組み(プロリーグ)」といったコアの価値が無ければ、すべての施策は意味をなさなくなるのである。逆の言い方をすれば、1~6のような施策や機会に恵まれている競技では、その施策に安住するのではなく、コンテンツの本質的な価値の向上に務めなければその競技の未来はないであろう。1~6のような施策を単発の打ち上げ花火としてしまうのか、コンテンツの価値を増幅させる効果的な施策とするのか。各競技は、うわべの施策に頼るのではなく、競技の本質的な価値の創出=プロリーグの設立に注力することを怠ってはならない。

次回は本論に戻り、アメリカンフットボールの「広告としての媒体価値」について考察する。

Saturday, March 11, 2006

エンターテインメントとしての価値(2)

 しばらく期間が空いてしまったが、前回の続きを述べたいと思う。
 前回は、3つあるエンターテイメントとしての価値のひとつとして、アメリカンフットボールの「(1)競技性・試合の質」といった側面の価値について言及した。これは、スポーツという競争行為やアメリカンフットボールという競技から生み出される本質的な価値であり、オリジナルなユニークな価値であるといえよう。

 今回述べる「(2)選手やチームの特性(選手のキャラクター、チームの持つイメージ)」「(3)試合会場の演出(プロモーション手法、試合会場の演出や雰囲気、イベント、チームマスコット)」は、(1)で述べた本質的な価値をコアとする付随的な価値であり、アメリカンフットボールに限らず見せ物として試合を行うスポーツであればいずれにせよ含有し得る価値だとは思う。しかしながら、アメリカンフットボールという競技特性からみても他のスポーツに比べてこれらの付随的価値を付加しやすい特性を持っていることもあり、また一般的にアメリカンフットボールは競技のルールが分かりにくいという印象をも持たれてしまっていることからみても、これらの価値を訴えることが重要となるであろう。

(2)選手やチームの特性

 自分がシーガルズのアシスタントGMとしてチームのプロモーションを担当していた時、「競技のルールが分からないけど、ひいきの選手がいるから試合に来る」「アメフトについては詳しく知らないけど、ウチの会社のチームだから応援にきた」といった観戦動機をよく耳にした。よくありがちな手法ではあるが、選手やチームの特性から派生するイメージを売りにして集客を図る手法は、「ルールが分かりにくい」というイメージを持たれてしまっているフットボールにおいては、(3)同様に有効となる。

 よくありがちなプロモーションとして「わかりやすいルール解説」的なアプローチからはいる手法が見受けられるが、アメフトのルールを短時間かつ少ない情報で伝えることはかえってノイズとなり、余計に分かりづらいという印象を持たれかねない。個人的には競技ルールを知らない人にルールを理解させることは、他のスポーツに比べ「コミュニケーション・コスト」が余計にかかると考える。だとすれば、一層のことTV解説や試合パンフレットにおいては中途半端なルール解説はせずに、その分コミュニケーション・コストがさほどかからない「選手やチームの特性」に関する情報を提供した方が、最初のフックとしてはより有効であると考える。そのフックから競技のルールに興味を持った人に対しては、きちんとわかりやすくディープに解説された情報を提供する機会を用意すればよい。時としてコミュニケーションにおいては、「誰」に対して「何を」提供するのかという戦略を明確にし、情報の「選択と集中」を行うことが必要となるのだ。

 若干話が脱線したが、「選手やチームの特性」について以下のように魅力要因を分解してみた。

<選手の特性>

・プレー特性:独自の優れたプレースキルやフィジカルを有していること

・ビジュアル:体型、顔、装着物などが魅力的であること(フットボールの場合には防具を装着することにより、この魅力要因が高くなり得る)

・キャラクター(言動含む):選手の性格や人間性による要因

<チームの特性>

・プレースタイル特性:どのような試合戦略・戦術を得意とするのか

・所属選手・コーチ:チームに所属する選手やコーチの特性が時にチームの特性となることもある

・プロモーション手法:(3)で言及する要素。チームが対外に向けて表現しているもの(ロゴ、WEB、パンフレット)が発するイメージ

・歴史:設立経緯、転機、勝敗・戦績、劇的な試合、象徴的な選手など過去のイメージが蓄積され現在のイメージを醸し出している

・所有者やスポンサー:所有オーナーやスポンサー企業のイメージ

・フランチャイズ:ホームタウンを構える地域のイメージを含有しているケースもある


(3)試合会場の演出

 フットボールのルールを知らずとも、ひいきの選手やチームがなくとも、その試合会場の雰囲気やイベントでフットボールという競技やチームに興味関心を抱くケースがある。スポーツを興行として捉えた場合、フィールド内で行われる試合や競技パフォーマンス以外の、スポーツという価値とは全く異なる性質のいわば演劇や映画に近い人工的なエンターテイメントの価値を創出することが出来る。
 特にフットボールという「間」が多い競技においては、その「間」でこの類の価値を上手く創り出すことが可能となる。自身がシーガルズでチームマネジメントを行っていた頃の経験則ではあるが、以下は考えられ得る演出可能な要素である。

・チアリーダー
誤解を恐れずに言えば、エンターテイメントという側面においてはチアリーダーは選手のパフォーマンス同様に見せ物である。したがって見せ物として価値を生むパフォーマンスやビジュアルや演出が必要となる。しかしながら、あくまでも付随価値であり、競技や試合の価値を補うものでなければならない。よく日本の試合で見られるような試合の内容と全くシンクロしていない演出や、強引な応援を誘導するようなマイクパフォーマンスは、エンターテイメントという観点でみれば論外といえよう。

・チームマスコット
子供に受けが良く、会場の雰囲気を醸し出すチームマスコット(着ぐるみ)は、現在では多くのチームで取り入れていることが多いが、そもそも「なぜチームマスコットを有するのか」ということを深く考えているであろうチームはあまり見受けられない。「他チームがやっているから」「アメリカではあたりまえだから」という理由であれば、そのコストは他のプロモーションなどに回した方が得策だ。もしチームマスコットにコストをかけるのであれば、その存在価値をきちんと考える必要がある。そもそもの価値とはチア同様に試合における付随的価値であり、エンターテイメントという観点で言えば選手やチア同様に「パフォーマンス」を生み出す必要がある。だとすれば、どのようなパフォーマンスが「受けるのか」という視点から逆算して、「どんなキャラクターが」「いつ」「どこで」「何をするのか」ということをきちんと設計する必要がある。

・音楽
音楽については、「メロディーやリズム(さらには歌詞)」もしくは「その曲に対する意味づけ」という視点で曲を選択する必要がある。「メロディーやリズム」による選曲とは、「素晴らしいプレーを盛り上げる曲調である」「勝利の喜びをより増幅させるリズムである」とった考え方だ。「曲の意味づけ」とは、「QueenのWe are the champion=スーパーボウルやW杯で使用される勝った時のお約束感」「スターウォーズのダースベイダーのテーマ曲=悪役登場」「チームで昔から使われた曲=歴史や伝統」といったその曲が持つ特有の意味やイメージであり、その意味を活用することで状況に応じた演出が可能となる。かつてシーガルズでは「NFLファン層の集客」という目的により、意図的にNFLのTVや試合で使用されている曲を試合会場で使ったことがある。いずれにせよ「そのシーンや演出の目的に照らして適切なメロディーか」という視点が選曲においては必要だ。

・映像
試合会場の設備による制約を受けるが、単に映像を流すだけでなく、上記の要素や下記のイベントと連動しているとなお良いだろう。これはどこかで述べたいと思うが、日本のスタジアムにおいてはエンターテイメントという観点のなさから、映像に関する設備はかなり劣っていると思う。「いや、大抵のビッグスタジアムにはオーロラビジョンがある」と思われるかもしれないが、単に「映像を流す装置を設置した」にすぎず、そのような設備の設置目的にエンターテイメントという思想が盛り込まれていないため、さほどの価値を発揮できていないことが多い(当然流す映像のコンテンツや使い方にもよるが)。

・イベント
大なり小なり「イベント」次第で、試合の価値をいかようにも増幅することが可能だ。どこかで網羅的にアイデアを紹介したいとは思うが、経験則ではアイデアそのものよりも「まずやってみる」ことが重要だと考える。先日米国で視察したNBAの試合では、「タイムアウトの時間に、会場で盛り上がっている観客にピザを無料でプレゼントする」というなんとも単純なイベントではあるが、MCやピザを客席に持って行くスタッフのキャラクターによりかなり盛り上がるイベントとなっていた。アイデアそのものが重要なのではなく、まずはやってみることであり、さらにはイベントに関わる人のサービスマインドやキャラクターが重要となるのである。

・IT
これもどかで言及したいと思うが、スポーツにおいてはまだまだITの活用が進んでいるとは言えない。厳密に言えば、活用が進んでいないのではなく「その特性を生かし切れていない」といったほうが性格であろう。今ではどのチームにもWEBサイトや携帯HPがあるが、その程度の活用では紙というメディアを電子に置き換えたに過ぎず、本当の意味でのITの活用とは言えない。データのマイニングやワントゥーワンの情報提供など、ITの活用による価値の創出にはまだまだ余地があると考える。

以上、アメリカンフットボールのエンターテイメントとしての価値についていくつかの視点から考察してみた。次回は、アメリカンフットボールの「広告としての媒体価値」について考察してみたいと思う。

Saturday, February 25, 2006

エンターテインメントとしての価値(1)

 一般的にスポーツの捉え方として「する」「みる」という分類が使われているが(近年ではさらに「ささえる」という言葉を加えているケースが多いが)、これはスポーツが持つ価値の多面性を表しているといえよう。スポーツには、「する」すなわち「身体の運動活動」としての価値と、「みる」すなわち「見せ物=エンターテインメント」としての価値が存在する。

 では、フットボールの「エンターテインメント」としての価値とは何か。
 フットボールが好きな人に言わせれば、そんなことは今さら言うまでもないことかもしれないが、ここではあえてスポーツ及びフットボールの「見せ物」としての価値を考察してみたい。

 まず、見せ物としての価値の構成要素を、ミシガン大学の観戦者調査(観客がスポーツをスタジアムで観戦する理由を調査したもの)をもとに3つに分類し、その観点で考察を行う。

 1)競技性・試合の質
   競技ルールの魅力、選手の高い技術、エキサイティングな試合内容、など

 2)選手やチームの特性
   選手のキャラクター、チームの持つイメージ(一体感、誇り)、など

 3)試合会場の演出
   プロモーション手法、試合会場の演出や雰囲気、イベント、チームマスコット、など

(1)競技性・試合の質
 スポーツの見せ物としての本質的な価値は、「競技特性やルールの面白さ」「競技パフォーマンスの素晴らしさ」「競争行為の面白さ」にあるといえよう。

1-1.「競技の特性やルールの面白さ」

 競技特性やルールの面白さとは、それぞれ一概に比較できるものではないが、個人的にはフットボールという競技の特性やルールには次のような面白さがあると思う。

・格闘技と球技の要素を併せ持つこと

 格闘技とは、人間の闘争本能を最も掻き立てる競技である。球技とは、人間の本来の営みには無い特殊技能を競い合う競技である。その両方の要素を併せ持ち、ルールを作り上げている競技は、フットボールとラグビーくらいであろう。フットボールは人間の本能と理性の双方に刺激を与える競技なのである。

・役割を明確にしていること

 ポジション毎に「ボールを運ぶ人」「ボールを投げる人」「それらを支える人」といったように役割が明確になっていることから、そのポジションに必要となる技術を極めやすく、かつ目立ちやすくなっている。また選手がどんなパフォーマンスを見せてくれるのかという期待も持ちやすい。

・メンバーの交代が自由であること

 そのプレーを行うにあたり、もっとも高度なパフォーマンスを行う可能性のある選手を使うことが出来る。

・攻守を分けること

 戦いの構図が明確になる。もちろんサッカーのように攻守が入り乱れることによる面白さもあるが、攻守明確になることにより、行われるプレーやパフォーマンスに対する期待が持ちやすい。

・プレーを区切ること

 相撲の間合いにも通じるものがあるが、プレー毎に区切り緩急を設けることで、盛り上がるシーンを作りやすい。またプレー間に時間があるため戦術選択やかけひきに時間をかけることが出来る。

・危険性を排除するルールが存在すること

 本能と理性のそれぞれの行過ぎを防ぎ、バランスをとるためにもルールが不可欠だ。ヘルメットや防具を着用する、危険行為を禁止するというルールがきちんと存在しているからこそ、上記の面白さを生み出すことが出来る。

・装具のビジュアル

 危険性を排除するための装具ではあるが、それが見た目として「格好いい」といった価値観を生み出してることは確かだ。

・面白くするためにルールを改正していること

 フットボールが合理的であると言われる所以として、見せ物として面白くなるようにという観点でルールを改正していることがあげられる。しかしながら、反面「メディアと寝たスポーツ」とも言われ、スポーツの純粋性とは反するという批判もある。

1-2.「競技パフォーマンスの素晴らしさ」

 競技パフォーマンスの素晴らしさとは、「凡人には真似できないようなパフォーマンス」「通常発生する可能性が少ないパフォーマンス」などである。もちろんどのスポーツでも選手たちのたゆまぬ努力や精神力により、素晴らしいパフォーマンスが存在するが、フットボールの場合には、先にあげたとおり、「役割を明確にする」「メンバー交代が自由」「攻守を分ける」「プレーを区切る」といったルール上の特性により、より素晴らしいパフォーマンスが発生しやすいスポーツなのではないかと考える。

1-3.「競争行為の面白さ」

 フットボールは、これまで述べてきたとおり競技ルールの特性により競技パフォーマンスが高まりやすくなるため、対戦双方の実力差が顕著に現れる競技なのではないかと考える。例えばサッカーは、攻守が入り乱れ区切りが無く連続する競技であるため、個々の高度なパフォーマンスの発揮しどころが限定される。そのため、プロと高校生が試合をしても、あわよくば高校生が勝利したり、プロが実力を発揮しても4-0という点差程度の結果となることもしばしばだ。フットボールの場合には、その得点加算構造にも起因するが、実力差が明らかな場合には、80-0や100-0といった試合はよくある(サッカーで言えば、10-0のようなイメージか)。
 そのため、NFLでは各チームのイコールコンディション=「戦力均衡」に尋常なまでにこだわっている。サラリーキャップ、ドラフトといった制度は他のスポーツ以上に厳格だ。そのため、日本のXリーグでは約30%(3試合に1試合)の割合で登場する4タッチダウン以上の点差の試合が、NFLでは5%の割合に激減する(共に2001年度シーズンの結果による)。
 試合すなわち競争行為の面白さとは、どちらか勝つだろう、負けるだろうの予定調和ではなく、「どちらか勝つか、負けるか分からない」状態によって生み出されることは明らかだ。ただしこれには「水戸黄門仮説」という反論がある。日本人は「最後には正義の味方が勝つ」というストーリ(予定調和)を好むという説だ。かつての巨人人気も「やっぱり最後には巨人が勝つ」という安心感ともいえる結果がその人気をもたらしていたという考え方も確かに一理はある。しかしこの説への反論としては、ミュージカルや映画といったエンターテインメントであれば予定調和が前提なので、それこそハッピーエンドが面白さになるわけだが、スポーツがそれらのエンターテインメントとは決定的に異なるのは「結果の不確実性」であり、それがスポーツ独自の面白さともいえる(そういう意味ではプロレスはスポーツではなく、演劇だと捉えることもできなくはないが・・・)。なので、スポーツである以上、やはり予定調和ではなく不確実性をウリにするしかないのだ。当然、不確実性の結果として、人気チームが勝って安心だ、ということが価値にはなりえるが。
 そういう意味では、競争行為の面白さとは、マッチメイクなどにより人工的に作り出すものであると言え、リーグの運営においては最も考慮すべき点であり、かつ価値創出のコントロールが可能なことでもある。そこにしっかりとした制度を設けているNFLは、見せ物としての価値を最大化することを一義としていることが伺える。日本のXリーグでは制度という側面においては残念ながら見せ物としてエンターテインメントとしての価値を創出できるリーグとはいえない。

少し長くなってしまったので、次回は、フットボールのエンターテインメントとしての価値の考察の続きとして、フットボールが持つ「選手やチームの特性」「試合会場の演出」による価値について述べてみたい。

Saturday, February 18, 2006

フットボールの価値とは何か

 ここまでこのブログをご覧頂いた方々の中には、「とはいってもアメリカンフットボールなんてプロ化できるわけない」とお思いの方もいることだろう。そう思うことは当然だと思う。なぜなら自分自身も常にその自問自答をし続けているからだ。ただ、この6年間その自問自答をし続けてきた中で、アメフトがプロ化できる可能性がゼロではなく、また場合によってはそれは確度の高いものとなることを確認してきている。このブログでは「その理由」をお伝えしていくわけだが、まず自身のシーガルズでの経験の中で、「アメフトには価値がある」という確信を得たことをお話しよう。

 シーガルズは、現在は様々な企業に勤める選手によって構成されるクラブチームであり、メインスポンサーにオービックを迎え「オービックシーガルズ」という名称となっているが、かつてはリクルートの社員によって構成される「リクルートシーガルズ」という、いわゆる企業チームであった。そうなった経緯は今後このブログでもお伝えしていこうと思うが、まだ企業チーム全盛であった98年に、前回の予告で既にお伝えしている「シーガルズの価値とは何か」という10枚に渡る資料を作成した。そう、サッカーの日本代表がW杯初出場を決めた後のことである。この資料を作成しようと思い立った理由としては、

1)サッカー人気の拡大による、アメフトの相対的人気低下の懸念(Remember Nov.16,1997)
2)当時、企業スポーツが見直される中、チーム存続の危機感
3)当時シーガルズに起こった様々な現象による新たな価値創出の可能性
4)アメフトという競技の特性とポテンシャル

があった。以下は、その資料の冒頭に書いた文章である。
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1.はじめに
・足を切断した陸上選手がシーガルズの活躍を励みにし、選手として復活しフルマラソンを完走した。
・熱狂的なシーガルズファンが登場し、応援ホームページの運営を開始した。
・ワールドリーグに参加した安部選手にアメリカの子どもから「あなたのような選手になりたい」という手紙が来た。
・ある大学の学生たちが「シーガルズサポート」というサークルを結成した。
・シーガルズのホームページのヒット数が3万を超えた。
・シーガルズの選手がスタジアムで試合を解説する企画に約40名が応募した。
 これは97年のシーガルズに対しての実際に起こったムーブメントの一例です。
 私はシーガルズに所属し日本一になるという目標のもとフットボールを楽しんでいます。シーガルズは自分達に他のスポーツと同様の人間的成長や感動、そしてフットボールを楽しむという娯楽的満足や夢を与えてくれます。選手達は「強くなりたい」「勝ちたい」という欲求のもとシーガルズに所属し、日々精進しています。
 自分が「シーガルズの価値の向上」について考え始めたのは、このようなそもそも選手達が自己満足を追求しているアマチュアリズム的な行動が、本来目的としていなかった上記のようなムーブメントを引き起こすというシーガルズの「2次的価値」を生み出し実際にその存在を実感し、その可能性を感じ始めたことがきっかけでした。
 フットボールはプロ化できるのか?現在の答えはNOとしか言いようがありません。プロでなければアマチュアスポーツ、しかもマイナースポーツであるフットボールにおいて「シーガルズの2次的価値」について追求する必要があるのでしょうか?私はシーガルズが存在し、試合に観客を求める以上、必要であると考えます。プロではないので金銭的利益という価値を求める必要はなく、リクルートにとって、フットボール界にとって、社会にとって、そして自分たちにとっての価値とは何かを再確認し、それらを向上させるプランを実行することが必要です。
 この企画書では、その価値の確認に始まり、具体的な価値向上プラン、そしてそのプランが結果的に日本におけるフットボールの発展に寄与する仕組みを提案します。これからのアマチュアスポーツチームの一つの在り方の指針となれば幸いです。 日本におけるフットボールの発展を願って
                    1998年1月 リクルートシーガルズ 山谷拓志
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 後付のような言い方にはなるが、自分はこの時点で「シーガルズというチームには複合的な価値があり、その価値は換金化し得る」ということを確信していたように思う。この確信が、後にシーガルズがリクルートから離れクラブ化(独立化)した時に、自身が企業スポンサーを獲得できるという自信につながったのだと思う。また、この資料を作成したことが自分自身「フットボールの価値とは何か」を深く考えるきっかけになったことは間違えない。

 では、フットボールの価値とは何か。これを考える前に、まずどのような観点でその価値を確認すべきかのアウトラインを述べておこう。これはスポーツそのものの価値を測定する場合にも当然あてはまるフレームであろう。

1)「エンターテインメント」としての価値
 →面白いかどうか、見世物や体験物としての価値
2)「媒体」としての価値
 →誰かに何かを伝える媒体としての価値(≒広告価値)
3)「経済活動」としての価値
 →金銭的利益を生む装置としての価値
 →納税による社会コスト捻出装置としての価値
4)「教育」としての価値
 →子供の教育に役立つのか、人材育成に役立つのか、
  企業の経営にとって学ぶことがあるのか、といった価値
5)「健康増進」としての価値
 →体力の向上、健康の維持を図るものとしての価値
6)上記以外の社会的価値
 →目に見えない価値:住民や従業員の求心力、地域犯罪抑制など
 →公共財としての価値

次回以降では、それぞれの観点における「フットボールの価値」を述べていこうと思う。

Wednesday, February 08, 2006

「プロ化」とは

 予告した98年に作成した資料を紹介する前に、まずこのブログのテーマでもある「プロ化」ということについて自分なりの定義を述べておきたいと思う。

 スポーツの「プロ化」といっても微妙に解釈が異なるケースがあるので、一旦以下のように定義をしておきたい。

 (1) 選手が競技パフォーマンスの対価として報酬を得ていること
 (2) その報酬原資を競技パフォーマンスの対価として市場から獲得していること
 上記2つが成立しているスポーツをこのブログでは「プロ」スポーツと呼ぶことにする。

 この観点で現状の日本のスポーツを見てみると、プロスポーツの代表格である「プロ野球」「Jリーグ」「大相撲」「ゴルフ」また新興の「四国アイランドリーグ」「bjリーグ」などは上記の条件を満たしていると言える。だたし、(1)=支出と(2)=収入のバランスについてみれば、プロ野球などは(1)が上回り親企業からの補填的意味合いの広告費がなければ実質赤字であることから、競技パフォーマンスの純粋な対価を市場から獲得しているとは言えない(=身の丈にあっていない)とも考えられる。この点については、アメフトをプロ化するためには重要な視点なのでまたいずれかの機会に考察してみるとしよう。

 近年ラグビーにおいても「プロ化」が進んでいると言われているが、特にトップリーグに所属しているチームでは一部の選手において(1)の状態が発生している(いわゆるプロ契約選手)。しかしながら、トップリーグは企業保有のチームによって構成されているため(2)の状態ではなく、報酬原資は企業の労務人件費となっているので、この定義におけるプロスポーツとはいえない。もし(1)の契約を結ぶ選手への報酬が増加すれば、仮にその選手のパフォーマンスが向上しても対価としての収入を増やす構造ではないことから、どこかで破綻することになるであろう。遅かれ早かれ、(1)が続く限り「ラグビーの市場価値」がどこかで問われることになる。

 ということで、このブログでは、日本におけるアメリカンフットボールという競技が、(1)と(2)の条件を満たす「プロ」リーグになることができるのかについてこれから持論を展開していきたいと思う。まずは、(2)の条件、すなわち、日本におけるアメリカンフットボールが市場にさらされたときに価値を発揮できるかという点について、次回は前出の「シーガルズの価値とは」という資料を持ち出して考えてみたい。

いつ思い立ったか

 まず最初の投稿ということで何を書こうか迷ったが、自己紹介はひとまずプロフィールを見て頂くこととして、しばらくの投稿では、「なぜアメフトのプロリーグを創りたいと思ったか」「いつどのようなアクションをとってきたか」といった過去の出来事について振り返り「そのときどう感じたか」「学んだことや教訓は何か」など、アメフトをプロ化したいと思った経緯について書いてみようと思う。

 忘れもしない1997年11月16日。 この日は、アメフトをプロ化したい、というより「プロ化しなければ」と強く決心した日だ。当時自分が選手としてプレーしていたリクルートシーガルズは、97年度はリーグ戦で3位となりプレーオフに出場することが出来ず、チームは例年より早いシーズンオフに突入。確かこの日は日曜日だったと記憶しているが、既にオフなので練習もなく、家で夕方をむかえていた。ふとTVをつけると目に入ってきたのはサッカーの試合。そう、この日は98年にフランスで行われたサッカーワールドカップの最終予選日本vsイラン戦、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた試合が生中継されていたのだった。

 当時サッカーに興味の無かった自分は、その日に最終予選があったことさえ忘れていた。チャンネルを変えようか迷ったが、ここである感情がわいてきた。「日本が勝つと、さらにサッカーが盛り上がってしまう・・・」。ほぼ全国民が日本の勝利を望んでいるであろうに、非国民にも日本が負けることを望んでいたのだ。

 サッカーは93年にJリーグがスタートし、当時順調に人気を拡大していた。それに比べ、アメフトは96年から当時流行った「アルファベット一文字リーグ」になぞらい「Xリーグ」と名称を変更。しかし実態はプレーオフ制度を変更したのみで、Jリーグのような大きな変革が行われていたわけではなかった。そもそもマイナースポーツであるアメフトがサッカーと大きな距離をあけられてしまう。そんな問題意識を抱きはじめていた時だけに、この試合の展開はその感情を大きく揺るがすものとなっていった。

 「日本が負ければ、サッカー人気は落ちるかもしれない」。なんとも負け犬根性的な情けない発想ではあるが、悔しいかなその試合を見ながらそう思っていたのは事実である。試合は同点で延長戦へ。多くの人の記憶に残っていると思うが、岡野が決勝Vゴールを決め日本はワールドカップ初出場を決めた。日本中が歓喜する中、自分は一人TVの画面を見つめ、悔しさと危機感となんとかしなきゃ感を抱きながら、決意した。「アメリカンフットボールを日本でメジャーにしてやる」「いつかはプロリーグを作って人気スポーツにしてみせる」。

 この日のこの気持がプロ化にむけて歩み出す原点となっている。この気持が高ぶる中、翌年98年の1月にある資料を作成した。当時覚えたてのパワーポイント4.0で作成した「シーガルズの価値とは何か」というタイトルの資料である。このファイルは今でも当時の日付で保存してある。
次回は、久々にこのファイルに書いてあることを読み返してみたいと思う。

注)今では仕事でサッカーに関わることが多く、すっかりサッカー好きになりましたので!今年のワールドカップはもちろん日本を応援します(笑)

はじめに

 2010年日本でアメリカンフットボールのプロリーグを設立――2000年の元旦に自分に課した目標です。以来、その実現に向けた仕事に挑戦し、構想を練り、事業計画を作成し、反対にもあい、挫折し、また挑戦しという5年間を過ごしてきました。残された年はあと5年。この場を借りて、これまでの仕事を振り返り、アイデアを整理し、構想を練り直し、自らのモチベーションを鼓舞していきたいと思い、このブログをスタートすることにしました。更新は不定期ですが、皆さんの忌憚のないご意見をいただければ幸いです。